T | 神社等 | U | 山 | |
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1 | 伊勢神宮 | 1 | 比叡山 | |
2 | 比叡山(延暦寺) | 2 | 高千穂峰 | |
3 | 鞍馬寺 | |||
4 | 熊野(那智の大滝) | |||
5 | 出雲大社 | |||
6 | 高千穂神社 | |||
7 | 天岩戸神社 | |||
8 | その他 | |||
T.【神社等】 西日本
(1)伊勢神宮
【伊勢神宮 】
訪問 : 2,006.(H18)11.14(火)午後
場所 : 三重県伊勢市
* 伊勢神宮は「お伊勢さん」とか「大神宮さん」とか呼ばれ親しまれて、日本人の心のふるさと。
* 古くから「神宮」といえば伊勢の神宮をさします。最も尊いお宮。
《 正式名称 》 ⇒ 「神宮」。 神社本庁の本宗とされていて、正式名称は’神宮’区別のために伊勢神宮。
《 構成 》 ⇒ 内宮(皇大(こうたい)神宮)と外宮(豊受(とようけ)大神宮)のほか14の別宮、摂社、末社など125社で成り立っている。
これらの宮社は三重県下の伊勢市・松阪市・鳥羽市・度会郡・多気郡・志摩郡に御鎮座している。
《 三種の神器 》 ⇒ 鏡 : 伊勢神宮、剣 : 熱田神宮、 勾玉 : 皇居。
《 内宮(ないくう) 》
・ 内宮には皇祖神「天照大神」(あまてらすおおみかみ)を「八咫の鏡」とともに祀る。
・ 内宮は垂仁天皇の 御代に今の場所に移され、平成8年に鎮座2000年を迎えた。
・ 内宮が現在の伊勢の地にお祀りされて2000年が経過。1300年前にはほぼ現在と同じ社殿が造られ、第1回の式年遷宮が行われている。
・ 「式年遷宮」 ・・・ 正殿をはじめ御垣の中の建物すべてが新しく建て直される行事は690年から始まり、20年毎に実施、次回第61回は2,0013年。
・ 「社殿」 ・・・ 建築様式=唯一神明造(ゆいいつしんめいづくり) ・・・ 高床式穀倉の姿で、掘立柱に萱の屋根。
《 外宮(げくう) 》
・ 天照大神の御饌都神(みけつかみ:食事係)である豊受大御神(とようけのおおみかみ)を丹波より迎えて祭神としている。
・ 外宮は雄略天皇の御代に創祀された。内宮鎮座481年後。
・ 外宮には宮域内に3所、宮域外に1所の別宮がある。
(〜フリー事典等より)
・ 内宮への入口、五十鈴川にかかる宇治橋は、日常の世界から神聖な世界へのかけ橋といわれており、結界の内側に入った感じで、波動圏が異った雰囲気に浸れる。
・ 宇治橋の両たもとに建つ高さ7mの大鳥居をくぐり、宇治橋を渡ると玉砂利が敷きつめられた参道が広がり、優雅な松が素晴らしかった。
・ 神聖な川、清浄な川として知られる五十鈴川(予想以上に広い川幅)の御手洗場に下りて、心身ともに清めてから参拝。
・ ここはイヤシロチ(「癒す」土地、「弥盛地」とも言って人や物が活性化する土地のこと)であるので、神聖な気を取り込める地形のなかに建てられているため、パワーが調和されている感じが非常に強い。ただ参拝者が多く集中し難い。
五十鈴川 | 〃 | 内宮 |
外宮 | 〃 | 〃 |
(2)比叡山(延暦寺)
訪問 : 2,007.9.17(H19)9.17(祭日)
場所 : 滋賀県大津市坂本本町。
【延暦寺(えんりゃくじ)】
・ 標高848mの比叡山全域全域を境内とする寺院。
・ 平安時代初期の僧侶 最澄(伝教大師)によって開かれた日本天台宗の本山寺院。
・ 延暦寺は高野山・恐山とともに日本三大霊山の一つとされる比叡山に広大な寺域を持つ天台宗の総本山。
・ 日本仏教の母山と呼ばれている。
・ 「延暦寺」とは比叡山の山上から東麓にかけた境内に点在する東塔(とうどう)、西塔(さいとう)、横川(よかわ)など、三塔十六谷の堂塔の総称。
・ 延暦寺は比叡山の山上にある根本中堂を中心とした東塔地区、釈迦堂を中心とした西塔地区、円仁によって開かれた横川(よかわ)地区の3地区
と、比叡山山下にある延暦寺の鎮守社であった日吉大社や本坊であった滋賀院などがある坂本地区に大別されている。
・ 交通の便の良い東塔だけを拝観する人が多い。
・ 延暦寺は数々の名僧を輩出し、「日本天台宗」の基礎を築いた円仁、円珍、「融通念仏」の開祖良忍、「浄土宗」の開祖“法然”、「浄土真宗」の開祖“親鸞”、「臨済宗」の開祖“栄西”、「曹洞宗」の開祖“道元”、「日蓮宗」の開祖“日蓮”など、新仏教の開祖や、日本仏教史上著名な僧の多くが若い日に比叡山で修行していることから、「日本仏教の母山」とも称されている。
・ その強大な力を恐れた織田信長が元亀2年(1571)全山を焼き討ちにし、延暦寺は根本中堂をはじめ大半の建物を失う。現在の建物は寛永19年(1642)に徳川家光が復興したものである
・ 「12年籠山行」「千日回峯行」などの厳しい修行が現代まで続けられており、日本仏教の代表的な聖地として、平成6年にユネスコの世界遺産に登録された。
・ 比叡山では顕・密・禅・戒の四宗をひととおり学ぶことが現代に到るまで求められてきている。
・ 比叡山が天台宗の修行道場として平安時代より現代まで継続している。
・ 最澄(伝教大師)
: 中国・後漢 応神帝の頃に帰化した人の子孫といわれ、比叡山山麓の古市郷(現滋賀県大津市坂本本町)に生まれる。幼名を広野という。 804年、最澄は遣唐留学僧として大陸に渡り、円・密・禅・戒という四宗を学んで翌年帰国。806年、天台宗を開くことを勅許された。後に最澄は21年に高雄山寺(現:神護寺)で天台を講じ、23年に還学僧(げんがくそう:短期留学の僧)として入唐。天台山などで修行し、天台・禅・密教などを学びます。
それらの教学を統合して最澄は法華経を中心とした教学である「天台宗」を立宗し、25年に朝廷によって公認され、最澄寂後の弘仁14年(788)に朝廷より「延暦寺」の寺号を賜る。
・ 修行僧の集まる山として有名。広大な山の中は、あちこちに”穴”。地の龍にかかわる場所が多く見られる。神園収蔵庫をすぎたあたりがパワースポット。 〜 フリー百科事典等 より
・ 午前中に「鞍馬山」と「貴船神社」を参拝し、比叡電車で宝ヶ池乗換え、八瀬比叡山口駅下車。ケーブルに乗り換える。
・ 比叡ケーブルは、かなりのカーブの急勾配、標高差561mで日本一、延長1.3km、9分(530円)、京都市内の展望が見られた。
・ 終点からロープウエイで比叡山頂駅へ、3分(310円)。
・ 比叡山頂駅からはハイキングコースで延暦寺へ。(シャトルバスもあります。30分毎)
・ 延暦寺の総本堂にあたる根本中堂に参拝。 現存する建物は寛永17年(1640年)に建造されたものと言われ、日本で三番目に大きい木造建築。
・ クツを脱いで堂内に上がり参拝。
・ 内陣の本尊「不滅の法灯」:延暦寺創始以来1200年間消えたことがないという、菜種油が燃えるほのかな光を放っている。
・ 内陣の本尊と中陣の参詣者の高さが同じという珍しい構造になっており、これを天台造又は中堂造と呼ばれ、天台仏堂の特色を示しているそうです。
・ 天台宗修行道場らしく、独特な雰囲気が醸し出される堂内。
・ 京都からの指定列車の都合の為、西塔・横川へは次の機会に訪問することにして、参拝を終わらせ、比叡山(大比叡)山頂へ行った後、ケーブル比叡駅まで歩き、以後ケーブル・電車で京都へ。
【比叡山】
・ 主峰は標高848.3mの大比叡ヶ岳。滋賀県と京都府にまたがり、琵琶湖にそって南北に連なっている山系。
・ 大比叡ヶ岳へは比叡山山頂駐車場から約5分強。
・ 前方に見える峰を目指して舗装路を登り、左カーブの右側に小さな表示板があり、薮の迫った細い登山道を進むと山頂。
・ 周りは木々に囲まれ眺望がまったくありません。TV局の中継施設だけ。
・ 花のシーズンなら駐車場前の「ガーデンミュージアム比叡」観光もよさそう。
参考HP : ⇒ ⇒ 比叡山延暦寺 Welcome to Hieizan Enryakuji
⇒ ⇒ 比叡山へ行こう!
1.比叡ケーブル | 2.比叡山頂駅から数分先。 | 3.根本中堂 |
4.阿弥陀堂 | 5.法華等持院の「東塔」 | 6.講堂 |
7.「東塔」 | 8.比叡山山頂Pより琵琶湖 | 9.比叡山(大比叡)山頂 |
(3) 鞍馬寺
650万年前に金星から“サナートクマラ”がこの地に霊王として天下り、地上の創造と破壊を司る「護法魔王尊」がここに奉安されているという伝説が伝わる「鞍馬寺」参拝記。(H18.9.18)、(H19.9.17)
訪問 : 2,006.(H18)9.18. 2回目: 2,007.(H19)9.17.
場所 : 京都市左京区鞍馬本町。
アクセス : 京阪電車「出町柳」駅下車、叡山電鉄に乗換、終点「鞍馬駅」。出町柳から410円、約30分。
・ 鞍馬山で山頂の鞍馬寺は義経伝説/牛若丸で知られ、ご本尊は全宇宙を治める尊天とされている。
・ 今から650万年前に金星からこの地に神が降り立ったと言う伝説が伝わる不思議な雰囲気のある寺。
・ 「鑑真和上」の高弟の鑑禎上人が770年に「毘沙門天」を安置したのが創始といわれる。
・ 鞍馬寺は牛若丸(義経の幼名)がここで兵法修行したと伝えられており、牛若丸(義経)縁の遺跡が多い。
・ 京阪終点の出町柳駅から叡山電車に乗り換え、鞍馬線「鞍馬」行きに乗車し、終点の「鞍馬」駅で下車。
・ 約2分で鞍馬寺の仁王門、その先にケーブルの山門駅があり、希望者は多宝塔駅までケーブルを利用すとが出来るようです。
・ 仁王門から鞍馬寺本殿金堂まで徒歩約35分。
・ 「中門」から「本殿金堂」前広場の石段下まで九十九折りの参道が続く。
・ 「本殿金堂」に祀られている「本尊」は「尊天」といわれている。
「尊天」は、月輪の精霊であり慈愛の象徴である「千手観世音菩薩」、太陽の精霊であり光の象徴である「毘沙門天王」、大地の霊王であり活力の象徴である「護法魔王尊」の三身を一体としたもの。
・ 尊天は森羅万象あらゆるものの根源、宇宙エネルギーであり、真理そのものであるといわれている。
・ 「本殿金堂」の広場の南端に「翔雲台」がある。
・ コースの最高地点である大杉権現社分岐に「背比石」がある。この石は牛若丸が16歳の時、藤原氏を頼って奥州に旅立つに際し背比べをしたと伝えられている石で、牛若丸の背はこの石と同じ高さだったそうです。
・ 牛若丸が鞍馬天狗より兵法を学んだ場所、「僧正ガ谷不動堂」。
・ 「奥の院魔王殿」 650万年前、金星より地球の霊王として天下り、地上の創造と破壊を司る「護法魔王尊」がここに奉安されているという。
・ 周辺に露出している石灰岩は2億6000年前に海底が隆起したそうです。
・ 西門を出て貴船神社へ向かう。
・ 京の奥座敷、貴船の山間に創建された貴船神社は、和泉式部も訪れた古社。
・ 神武天皇の母、玉依姫(たまよりひめ)が浪花の津から水源をもとめて淀川をさかのぼり、船でこの地へたどり着き、水の神を祀ったことにはじまる。
・ 中宮の結社の奥に「天の磐船」(あまのいわぶね)と呼ぶ大きな自然石がある。
・ 貴船口駅からの帰りは、「きらら」と名付けられた2両編成の座席が展望窓を向いている席に座り、車窓の風景を楽しんだ。
※ ウルトラマラソンの翌日だった為、背比石まで結構時間がかかりましたが、逆にのんびりできました。
※ 観光客が多いせいか、位山の時ほど神秘性が感じられなかった。
1.鞍馬駅 | 2.鞍馬駅前の鞍馬天狗 | 3.鞍馬寺仁王門へ |
4. | 5. 本殿金堂広場の翔雲台 | 6.鞍馬寺 本殿金堂 |
7.背比石 | 8.大杉権現社 | 9. 〃 |
10.貴船神社入口 | 11.結社 | 12. |
13.天の磐船 | 14.石舟 | 15.奥宮の祭神 |
16.料理旅館街 | 17.貴船川に咲く |
(4)熊野
訪問 : 2,006.(H18)11.14(火) 午前
場所 : 三重県熊野市 《熊野三山(くまのさんざん)》
・ 熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社の三つの神社の総称。
・ 日本全国に約3千社ある熊野神社の総本社。
・ 2004年に、「紀伊山地の霊場と参詣道」として、高野山などとともにユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録された。
・
《那智大滝(なちのおおたき)》
・ 高さ133m、幅13m、滝の落ち口の幅は13m。 日本一の高さを誇る。「日本の滝100選」、「日本の音風景100選」に選定。
・ 一般に「那智の滝」といわれ、「一の滝」ともいわれるこの滝は、 落差133mの日本一の直瀑。
・ 滝壺の深さは10m。以前滝の上の原生林を濫伐したために岩石が落下し、滝壷が埋もれて現在のように小さく浅くなってしまったらしい。
・ 滝の落ち口の岩盤に3つの切れ目があり、3本になって滝が落ちることから「三筋の滝」ともいわれている。
・ 大滝には現在、「熊野那智大社別宮飛瀧(ひろう)神社」が鎮座し、大己貴命(おおなむじのみこと)が祭られている。
・ 神社とはいっても本殿も拝殿もなく、大滝が御神体。
《熊野本宮大社》
・ 全国に3000以上ある熊野神社の総本山であり、那智大社・速玉大社を合わせた三山を参詣する熊野詣の成就する場所。
・ 平安中期、熊野は阿弥陀の浄土とされ、この地に行けば極楽往生ができると信じられ、宇多法皇をはじめ歴代の天皇や貴族たちが相次いで訪れ、その様子は"蟻の熊野詣"にたとえられるほど熊野へ参拝する人は後をたたなかったそうです。本殿へと続く参道の両脇には幟がなびき、生い茂る杉木立が幽玄の世界へと誘います。石段を登りつめた正面に神門、左手に拝殿、奥に14柱の神々を祭る社殿があります。主祭神はケツミノミコノオオカミ(スサノオ)で、創建は神武東征以前と伝わり、明治22年に大水害で流失するまでは近くの大斎原(おおゆのはら)に鎮座していて、翌々年現在地に移転再建されたそうですが、檜皮葺の社殿は古色蒼然とした落ち着きがあり、厳粛な趣がありました。
〜 フリー百科事典等 より
・ 紀伊半島の百名山・二百名山登山を利用して、効率よく周辺地域のエネルギースポットを訪問しました。
・ 大門坂入口の近く「熊野曼荼羅の郷河川公園」に駐車し、「振ヶ瀬橋」が架かっています。道の両側にそびえ立つ巨大な杉「夫婦杉」を通過、並木に囲まれた石段「大門坂」を登り、まずは、那智の滝へ。 滝拝所300円を払って、滝つぼ近くへ下り、参拝。 圧巻でした。瞑想に適した場所が見つかりません。
・ 早朝のため、太陽光線が滝の半分しか、照らさなかったので、帰り際もう一度撮影。
・ 次に熊野那智大社へ参拝。那智山青岸渡寺、本堂前から三重の塔と滝がクッキリ見下ろせる。
・ 三重の塔からも、滝の全景が見下ろせる。
・ 充分堪能後、伊勢神宮目指し出発。
1.朝日 熊野 | 2.那智の滝 早朝 | 3.〃 午前中 |
4.青岸渡寺 | 5.青岸渡寺の三重塔 | 6.熊野灘 |
(5)出雲大社
出雲大社(いずもおおやしろ、いずもたいしゃ) 訪問 : 2,008.(H20)10.29(水)
場所 : 島根県出雲市
・ 祭神は大国主大神(おおくにぬしのおおかみ)。 古来より「国中第一之霊神」として称えられ、その本殿は「天下無双之大廈」と評された。
・ 縁結びの神様としても知られ、神在月(神無月)には全国から八百万の神々が集まり神議が行われる(神在祭 旧暦10月11日〜17日)。
・ 正式名称は「いずもおおやしろ」であるが、一般には「いずもたいしゃ」と読まれる。
・ 大国主命をご祭神としていて、縁結びの神様、幸せを授けて下さる神様として、全国的に有名。
・ 現在の本殿は高さ24mで、国宝に指定されています。 古代は高さ48mで「雲太、和ニ、京三」と謡われ、一番大きいのが出雲大社、2番目が奈良の東大寺、3番目が京の大極殿であったと言われています。平成11年9月から実施された発掘調査において、巨大な柱が発見されました。これは3本の柱を束ねたものと推定され、古代の出雲大社の巨大さが実証されました。
・ 出雲大社のお参りの仕方は他の社と違い、二礼四拍一礼となっています。
・ 正面の拝殿は、昭和34年に再建された桧造りの美しい色艶と長さ8メートル、重さ1500キロの大しめなわが参拝客の目をみき荘厳さに思わず気が引き締まります。拝殿の奥が大国主神を祀る、国宝出雲大社本殿です。
・ 本殿は、瑞垣・玉垣に囲まれていて、瑞垣の門を八足門といい普通一般にはここから拝します。正月5日間はこの門が開かれ、楼門前で参拝出来ます。瑞垣の外にそって右に行くと長い社殿があります。これを東の十九社、左にあるものを西の十九社といい、旧暦の10月11日から17日まで、全国の神々が出雲大社に集られ、いろいろな神議りをされると伝えられ、その際の神々の宿舎となる社殿です。他の地方ではこの月を神無月といい、出雲地方では、神在月と呼びます。この社殿をすすむと、神殿、素鵞社、氏社、庁の社と続きます。また、境内の松、杉などの枝に良い縁が結ばれますようにとの願いを込めたおみくじが結ばれ、まるで白い花が咲き乱れているようです。
・ 出雲地方は弥生時代に独自の勢力圏と文化を誇っていた。
(〜フリー事典等より)
古代出雲歴史博物館 | 〃 前庭 | 出雲大社 |
出雲大社 | ||
出雲大社 | ||
出雲大社 | ||
出雲大社 | だいこくさまと兎の銅像。 |
(6)高千穂神社
高千穂神社(たかちほじんじゃ) 訪問 : 2,008.(H20)11.17(月)
・ 場所 : 宮崎県西臼杵郡高千穂町。
・ 旧称 : 十社大明神・三田井神社。国史見在社で、旧社格は村社。現在は神社本庁の別表神社となっている。
・ 創建 : 垂仁天皇の時代に創建。 創建千八百年と伝えられ、天慶年間には「十社大明神」(三毛入野命、その妻・鵜目姫命ほか八子神の計十神)とも称し、高千穂郷八十八社の総社とされた。
天慶年間に大神氏が高千穂18郷88社の総社として崇めて以来、人々の崇敬を受けてきた。
・ 主奉神 : 三毛入野命(みけぬのみこと)。神武天皇の兄弟。 大変剣の腕の立つ武将として「三毛入野命と鬼八」という神話に伝えられている。
『古事記』でも『日本書紀』でも、神武東征の後、「常世の国(=海の彼方にある理想郷)に渡られた」と記されている神武天皇の兄・三毛入野命(ミケイリノミコト)。高千穂に伝わる伝説では、故郷である高千穂の地に戻り、あららぎの里に宮を定め、鵜目姫命(ウノメヒメノミコト)を后とし、子々孫々、高千穂の地を治められたとしている。
他に五瀬命(イツセノミコト)、稲飯命(イナヒノミコト)、佐野命(サノノミコト)を合わせた四柱を四皇子として境内の四皇子社に祀る。
・ 御祭神 : 上古高千穂皇神と申し上げ別名十社大明神という神号で親しまれている。十一代垂仁天皇の御代の御創建で、六国史にも掲載されている国史見在社。天慶年間には高千穂十八郷八十八社の宗社として、特に往昔、武神、農産業、厄払い、縁結びの神として広く信仰を集め、鎌倉幕府をひらいた源頼朝は、畠山重忠を代参として天下泰平の祈願をし、皇室発祥の聖地に対する尊皇のまことを表した。
・ 古事記や日本書紀の元と言われる「日向神話」が継承され、天岩戸・天安河原・天香具山・二上山・四皇子原など数々の伝承地が豊富に存在し、古の神世を感じる事ができる「日本のふるさと」と呼ぶに等しいところ。
・ 当地は日本神話における天孫降臨の舞台となり、その後に日向三代の宮である高千穂宮が置かれた地とされる。当地の伝承では、長年人々を苦しめてきた荒神・鬼八三千王を退治した三毛野命(神武天皇の兄神)とその妻子神を「十社大明神」として祀ったのが当社の始まりとしている。延喜式神名帳の記載はないが、『続日本後紀』の承和10年(843年)9月19日条に高智保皇神の名が見える。
・ 主祭神である三毛入野命が悪神「鬼八」を退治したとされる伝説がこの地方には残り、ゆかりの「猪掛祭」は今も受け継がれている。
・ 日向神話
⇒ 『天照大神の孫としてうまれたニニギノ尊日向の高千穂に降臨しコノハナサクヤ姫と結婚しました。 color=#0033ff>ヒコホホデミ尊は山彦として兄の海彦から釣り針を借りたが無くし、海神の娘豊玉姫と結婚しましたが帰郷後、もらつたタマを用い海彦(隼人の祖)を服従させました。ウガヤフキアエズ尊はタマヨリ姫と結婚し神武天皇をもうけました。』。
・ 古くから地元の人々の厚い信仰に支えられてきた格式の高い神社で、非常に神々しいエネルギーが感じられる。
・ 境内には、重忠が手植えした樹齢約800年の秩父杉(目通り1.8m、高さ55m)の巨樹が控えている。
・ 宮崎県知事になられた、そのまんま東さんが知事になるように啓示を受けた神社。
(〜フリー事典等より)
【高千穂峡】
・ 高千穂峡(五ヶ瀬渓谷)は約12万年前と約9万年前の二回の阿蘇火山活動の際、噴出した溶岩流が五ヶ瀬川に沿って帯状に流れ出し、急激に冷却された侵食谷。
・ 柱状節理のそそりたつ断崖、岩をかむ激流、千古の謎を秘めた深淵、湧く岩清水、四季をとおして雄大にして清々しい景観。
・ 阿蘇カルデラ噴出物で生成された阿蘇溶結凝灰岩の 柱状節理が浸食されて出来た神秘的な渓谷。
高千穂神社 | 高千穂神社 | 〃 |
秩父杉(目通り1.8m、高さ55m) | 高千穂峡(五ヶ瀬渓谷) | 〃 |
(7)天岩戸神社
高千穂神社(たかちほじんじゃ) 訪問 : 2,008.(H20)11.17(月)
場所 : 宮崎県 西臼杵郡高千穂町大字岩戸。 高千穂町の中心部より北東に約7km。
・ 神話の中でもよく知られた天照大御神(アマテラスオオミカミ)の天岩戸開き、あの天岩戸伝説を伝える神社。
・ 天岩戸神社には天照大御神(アマテラスオオミカミ)が身を隠した天岩戸(洞窟)を祭る東本宮とオオヒルメノミコトを祀る西本宮があり、主に天岩戸神社と呼ばれているのは西本宮。
・ 八百万の神が集ったという天安河原。
・ 天照大神がお隠れになった洞窟天岩戸。
・ 神が創ったという水源・天真名井。
・ 天安河原の仰慕窟へは天岩戸神社側から徒歩約10分。
・ 天岩戸神社鳥居前に、力強い“手力雄命”(タヂカラオノミコト)の像がある。
・ 天岩戸神社から天安河原を結ぶ橋のたもとは、日本でも有数のスポットとして、新名所になりつつある。
* 天岩戸伝説
⇒ 『世界の陽性と正義と平和を象徴する太陽の神、天照大御神(アマテラスオオミカミ)は、弟の荒ぶる神、須佐之男命(スサノオノミコト)の乱暴ぶりに耐えかねて、怒って岩屋の奥に隠れてしまい、世は闇に閉ざされてしまった。
困った八百万(やおよろず)の神々が今後の対策を練ったのが天の岩戸神社より少し歩いたところ(十数分?)にある天安河原、洞窟(仰慕窟・キョウボガイワヤ)の前である。 百万(やおろず)の神々は天安河原に集まって相談した末、岩屋の前で宴会を開くことになる。
芸達者の天鈿女命(アメノウズメノミコト)が天岩戸の前で賑やかに舞い踊り、(これが後に神楽の原型となったとも伝えられる)それを肴に神々はその周りで宴会を始めた。
その騒ぎに興味をしめした天照大御神が岩戸を少し開いたところを手力雄命(タヂカラオノミコト)が岩戸を開け、投げ飛ばし、世に再び光が戻った。』
(〜フリー事典等より)
天岩戸神社鳥居前にある手力雄命(タヂカラオノミコト)の像 | 天岩戸神社 | |
天安河原 | 〃 | 天安河原・仰慕窟 |
天安河原・仰慕窟の前 | 東本宮鳥居 | 天鈿女命(アメノウズメノミコト) |
東本宮 | ムラサキシキブ |
(8)その他
@ 下鴨神社(しもかもじんじゃ) 訪問 : 2,007.(H19)9.15
場所 : 京都府京都市左京区
京阪電車、出町柳駅下車 北方すぐ。
・ 正式名称=賀茂御祖神社(かもみおやじんじゃ)。 上賀茂の賀茂別雷神社を“上社”(上賀茂神社)、下賀茂の賀茂御祖神社を“下社”(下鴨神社)と呼んでいる。
・ 上賀茂神社と並んで京都でも最も古い神社の一つ。 古代豪族・賀茂氏の氏神社で、賀茂建角身命(かもたけのつぬみのみこと)と玉依姫命(たまよりひめのみこと)を祭神にしている。
・ 上賀茂・下鴨の総称が賀茂神社で、全国各地の賀茂神社ではたいてい上賀茂の神と下鴨の神とが合わせて祀られている。 二社で“賀茂神社”。
・ 二つの川の賀茂川と高野川が合流する三角地に建っており、上賀茂とはうって変わって、水と緑の穏やかなエネルギーが印象的。
・ 世界文化遺産。
・ 南参道は「糺(ただす)の森」と言って自然の宝庫。
・ 境内の糺の森(ただすのもり)は、鴨川と高野川の合流する三角州に山背盆地の植生を残す貴重な森林でその美しさは、古くから物語や詩歌にうたわれてきた。
・ 加茂川と高野川が合流するあたりに、こんもりとした森があり、これが糺の森(ただすのもり)であり、下鴨神社の境内である。
・ 上賀茂神社同様、京都で最も古い神社の一つと云われ、両神社とも伊勢神宮に次ぐ神格が与えられた大変由緒ある神社である。更に両神社ともに世界文化遺産に登録されている。
・ 君が代に歌われている「さざれ石」がある。
・ 御手洗社は、疫病・災厄除けの神様、瀬織津比売命(せおりつひめのみこと)が祭られている。
・ 御手洗池は、土用の丑の日に、みたらし祭(足つけ神事)、立秋の前夜には夏越神事と様々な厄除けの神事に使われている。
・ 池の中心の井戸は普段水が出ないのに、土用の頃になるとこんこんと涌き出てくるため、これも京の七不思議の一つ。
・ その時の泡をかたどったものが「みたらし団子」とのこと。 御手洗祭において、神前のお供えされる神饌菓子。鎌倉時代後期 後醍醐天皇が、下鴨神社の境内の御手洗池で水をすくったところ、最初に泡が1つ浮き上がり、少し間があってから4つの泡が浮き上がったことから、その泡を「みたらし団子」に見立てて作られたといわれる。
・ 下鴨神社は、みたらし団子発祥の地でもある。
・ 御手洗池は、エネルギーパワーが強い場所。
(〜フリー事典等より)
鳥居 | 〃 | 「鴨長明の河合社」 |
櫻門 | 〃 | 東西の本殿 |
手水場 | 言社(ことしゃ) | 井上社((御手洗社(みたらししや)) |
A 東寺(とうじ) 訪問 : 2,009.(H21)9.19
場所 : 京都府京都市南区九条町
京都駅南西 徒歩約10分、 近鉄京都線東寺駅下車約5分。
・ 東寺の正式名は、 @ 「金光明四天王教王護国寺秘密伝法院」、 A 「弥勒八幡山総持普賢院」の2つの名称がある。
宗教法人としての公称は「教王護国寺」(きょうおうごこくじ)、詳名は金光明四天王教王護国寺秘密伝法院。
・ 国宝。東寺のというよりは京都のシンボルとなっている塔である。高さ 54.8mで木造塔としては日本一の高さを誇る。
・ 東寺(とうじ)は、京都市南区九条町にある東寺真言宗総本山の寺院。山号は八幡山。本尊は薬師如来。 真言宗総本山。
・ 東寺は弘法大師空海に下賜され、真言密教の根本道場として栄えた。中世以降の東寺は弘法大師に対する信仰の高まりとともに「お大師様の寺」として庶民の信仰を集めるようになり、21世紀の今日も京都の代表的な名所として存続している。昭和9年(1934年)に国史跡に指定、平成6年(1994年)12月には「古都京都の文化財」の一部として世界遺産に登録された。
(〜フリー事典等より)
東寺 五重塔:国宝 | 〃 | ハスの花 |
講堂 :重文 | 大師堂 :国宝 | 枝垂れ桜 |
U.【山】