エネルギー・スポット 訪問


  多次元世界  エネルギー・スポット

T  神社等 U  山等 V  墓等
 皇祖皇太神宮  富士山  イエス・キリストの墓
 鹿島神宮  立山
 九頭龍神社  白山
 箱根神社  分杭峠
 富士浅間神社  皆神山
 日輪神社  位山
 戸隠神社  恐山
 善光寺  尖山

※ 《 東日本と西日本の境目 》

 * 地質学的には、新潟県と富山県との境である親不知から静岡県の安倍川に至る大断層線、いわゆる糸魚川静岡構造線(新潟県・糸魚川市〜静岡県・静岡市)が東日本と西日本の境目といわれています。
 当HPでの区別も糸魚川静岡構造線で区別します。
  * 気象庁の基準では、 東日本 =関東甲信、北陸、東海地方。
                   西日本 =近畿、中国、四国、九州地方。
                  北日本 =北海道、東北地方。
  * NTT : 神奈川県までがNTT東日本、静岡県から西側がNTT西日本。
  * 鉄道 : 在来線の東海道線は、東京―熱海がJR東日本、  熱海―米原がJR東海、  米原―神戸がJR西日本。
          東海道・山陽新幹線は東京―新大阪がJR東海、  新大阪―博多がJR西日本。
  * 電気 : 静岡県の富士川と新潟県の糸魚川を結ぶ線を境界線として、東側が周波数50Hzの東京電力、 西側が60Hzの関西電力。
          〜 明治時代に当時の電力会社、東京電燈が関東でドイツ製50Hzの発電機を、大阪電燈が関西でアメリカ製60Hzの発電機を独自に採用したことに端を発している。
  * 麺の汁 : 東日本は、「鰹だし」+「濃口醤油」 、  西日本は、「昆布だし」+「薄口醤油。
  * カップうどんの味付け : 関が原以東=E、  関が原以西=W  
   ・ カップうどんの味付け(パックにEかWかマークがついている)の境も、関が原。 (W)と書かれたものは西日本向け、(E)と書かれたものは東日本向け。
  * そば・うどんの「たぬき・きつね」の区分け
   ・ 大阪では「キツネうどんの麺」が「蕎麦」に化けたので[タヌキ]?、麺(面)が黒いから[タヌキ]。
   ・ 大阪では、きつねうどん=薄揚げ(味付き)の乗ったうどん。
            たぬきうどん=薄揚げ(味付き)の乗ったそばで、どっちも「うどん」と言うようです。 たぬきがきつねに化けてる。
   ・ 揚げ玉(天かす)をたぬきと言うようで、てんぷらの種抜きからきているようです。
      タネヌキ→タヌキ    油揚げをきつねと言う。

メニュー 東京 大阪
 天かすの入ったそば  たぬきそば  はいからそば
 天かすの入ったうどん  たぬきうどん  はいからうどん
 お揚げの入ったそば  きつねそば ※ たぬきそば
 お揚げの入ったうどん  きつねうどん  きつねうどん
 刻んだ揚げが入ってるそば  きざみそば
 刻んだ揚げが入ったうどん  きざみみうどん

 * 碓井峠,箱根の関より東が東日本で、鈴鹿峠,関ケ原より西が西日本 その間が”関中”中日本という感覚です。

T.東日本【神社等】

(1)皇祖皇太神宮      
    
   “竹内文書”(太古より代々守り続けられてきた古文書と神宝類を含む資料の総称)が保存されている、「皇祖皇太神宮」の参拝記。(H18.2.7)

 場所 : 茨城県北茨城市
 交通 : 常磐線 磯原駅より徒歩約2分
 車  : 三郷IC  ⇒ (約2時間) 北茨城IC  ⇒ (約5分) 皇祖皇太神宮  
        三郷 〜 北茨城IC 143km     普通車:3,700円、軽:3,000円。
  ・ 当方 軽で、ETC早朝割引利用=三郷〜那珂 1,100、〜北茨城 600 計 1,700円) 
  ・ 神宮内に約10台無料駐車場あり。
  ・ 磯原駅は近代的で、駅前広場も東西共、広く立派な造りで、野口雨情の記念碑等がありました。
  ・ 神宮は広い道路に面しており、分かりやすい。
  ・ 通常は本殿の拝観のみ。こじんまりしてました。
  ・ 御神宝拝観は、特別会員のみ、春季大祭時に可能。(御神宝:ヒヒロガネ製オオトノチの剣、モーゼの十戒石等)


   ※ 皇祖皇太神宮のホームペ−ジ  ⇒ 皇祖皇太神宮

1.磯原駅 西口 2.皇祖皇太神宮 全景  3.皇祖皇太神宮 拝殿
4.御本殿 5.御本殿 6.御本殿
7. 8.北茨城 磯原海岸の朝日  9.北茨城 磯原海岸


(2)鹿島神宮 
    
   東国最古最大の神社“鹿島神宮”の参拝記。(H18.2.7)

  ・ 鹿島神宮の御祭神 = 武甕槌大神(たけみかづちのおおかみ)
     ⇒ 天地の始めの時になりませる高皇産霊神と天照大御神の命を受けて、日本の国譲りと神武天皇の東征を成功に導かれ、日本統一の大業を成し遂げた建国の大神。
  ・ 鹿島を本源として、未開の関東地方の開拓と鎮撫に当たった。
  ・ 紀元前660年(皇紀元年)頃、初代神武天皇が東征で窮地に陥ったときに武甕槌大神がふつ霊剣(ふつのみたまのつるぎ)の神威で救った。
  ・ 天皇は、神恩に感謝して即位の年に使を鹿島に送り神宮を創建した。
  ・ 以来東国最古最大の神社とされ、東国三社の一つに数えられている。

 場所 : 茨城県鹿島市宮中
 交通 : JR 鹿島線 鹿島神宮駅より徒歩約7分
 車   : (湾岸)市川IC  ⇒ (約1時間) 潮来IC  ⇒ (約10分) 鹿島神宮  
        湾岸市川 〜 潮来IC 75km     普通車:2,300円、軽:1,900円。
  ・ 神宮鳥居右側に広い駐車場あり(200円)。

   ※ 鹿島神宮のホームペ−ジ  ⇒ 常陸国一之宮 鹿島神宮

1.神宮鳥居 2.楼門(ろうもん) 3.御本殿

(3)九頭龍神社
  
   “九頭龍神社”の参拝記。(H19.6.13)

 由来  ⇒ ⇒ 『その昔、人民に被害を与えていた毒龍に対し、萬巻上人が湖中に石壇を築いて調伏の祈祷を行ったところ、毒龍 は形を改め、寳珠并に錫杖を捧げて帰依し、龍神となりました。』 今では、多くの人々に開運隆盛はもとより金運守護、商売繁盛、縁結びの龍神様として崇められています。 〜 九頭龍神社本社のHPより
 ・ 龍神さまを祭っている神社で、縁結びのご利益があり、全国に龍神さまを祭った神社うち、N0.1のパワーだそうです。
 ・ 芦ノ湖湖畔に位置する九頭龍神社本社、箱根神社境内に位置する九頭龍神社分社がある。 他に東京都檜原村、京都左京区八瀬、長野県戸隠にも九頭龍神社神社があります。

 ・ この度、年一度行われる大祭に参拝。  毎月13日は月次祭 (つきなみさい:毎月行われる神事)が行われてます。
 ・ 品川から小田原まで1時間15分、(新幹線では30分)。
 ・ 小田原からは、ノンストップで参拝船の出る元箱根行の九頭龍神社参拝バスが、小田原駅東口5番乗り場から出発。乗り場で切符を購入(往復1,500円:路線バスでは片道1,150円)乗車。7:45発。増発便があり座れました。乗車時間が長いので出来れば座りたい。
 ・ 約1時間強の乗車、峠を越えて9時に元箱根着、目前の参拝船乗り場へ行き、乗船券を購入(「芦ノ湖遊覧通行手形」1,000円)。
 ・ 同時に、奉賛用紙(封筒型ののし袋で、ご祈祷申し込み書を兼ねた物)と供物(九頭龍さんへのお供え)をもらい、名前・住所とお祈りの言葉を奉賛用紙に記入し、初穂料を入れて渡す。
 ・ 9:30に出航する九頭龍神社参拝船に乗船。満員状態(約700名)で、約20分の船旅。
 ・ 甲板へ上がり、箱の神社の鳥居や海賊船や富士山の景色を眺めながらの船旅を気持ち良く過ごす。
 ・ 桟橋に到着後、細い未舗装遊歩道(参道)を行列状態で歩く。約10分弱で、行列が止まったので前方を覗くと、鮮やかな朱色の予想以上に小じんまりした社殿に到着。
 ・ 神事が10:00から11:30頃まで行われた。(10時00分〜九頭龍神社例祭、11時00分〜弁天社例祭、11時30分〜白龍神社例祭)
 ・ 約1.300人の参拝者でギッシリ埋め尽くされていました。
 ・ 神事を行っている間は、巨大な龍が降りてくるようですが分りませんでした。神事中がエネルギーレベルが最高のようです。
 ・ 3人の神官が早口で延々1時間、次々と祈願を読み上げる。全員の分を読み上げるので少々飽きますが皆黙祷、我慢。
 ・ その後巫女さんの舞、代表者の玉串奉納、その後、一般参拝者が順番に社に参拝。
 ・ 社殿での参拝後、すぐ下方にある弁天社に参拝。その後、湖に「御供」(ごく)をお供える。入船時にもらった小豆ともち米が入った「御供」の袋から出し、小豆ともち米を右手のひらに載せ、半円形に、のの字を描くようにして、芦ノ湖湖畔に撒き祈祷しました。本来は、「玉子」や「スルメ」「お酒」でしたがH16.9より環境汚染配慮の為、小豆ともち米に代わったようです。
 ・ 最後に、遊覧船桟橋近くにあるこじんまりした白龍神社に参拝しました。
 ・ 霊水は、分社(箱根神社境内)の方がエネルギーが高いそうなので分社で汲むことにしました。     
 ・ 帰りの船の時刻は 11時55分と12時35分の2便になり(2007.6.13現在)、この2便に乗り遅れると、徒歩で帰らなければならなくなるので、注意。(大祭時は13時05分の増便。)
 ・ 参拝船は箱根関所跡→元箱根と経由するので、箱根関所跡で下船。箱根関所跡を観光後、箱根神社まで歩く。

 * 大祭、月次祭はやはり混雑し過ぎです。ゆっくり静寂な雰囲気の中で、神霊のエネルギーを受け取るには平日に限るようです。
 * 平成18年秋、樹木園の通年営業開始に伴い、普段の日も陸路(ザ・プリンス箱根の横)から、樹木園を通って、九頭龍神社へのお参りが可能になりました。13日の祭典日以外は樹木園への入園料¥300円が必要だそうです。
 
  九頭竜神社 HP  ⇒ ⇒   箱根 九頭龍神社  
  九頭竜神社参拝レポートのHP  ⇒ ⇒  箱根 九頭龍神社参拝レポート 
1.乗り場より 2.乗り場 3.箱根神社
4.箱根神社の鳥居と神事用の船着場 5.九頭龍神社参道 6.九頭龍神社
7.九頭龍神社 8. 〃 9. 〃
10.〃小さな社殿 11. 〃 社殿上部の枠に輝く銘板 12. 〃    社殿内部の鏡、竜の軸。
13.白竜神社参道 14.搭乗した遊覧船 15.箱根関所

 
(4)箱根神社    
    “箱根神社”の参拝記。(H19.6.13) 
 由来  ⇒ ⇒ 古代からの山岳信仰の霊地。
      『箱根神社は、古来、関東総鎮守箱根大権現と尊崇されてきた名社で、交通安全・心願成就・開運厄除に御神徳の高い運開きの神様として信仰されています』。 〜 箱根神社公式HPより
 ・ 御祭神は、箱根大神(ハコネノオオカミ)様をお祀りしています。 箱根大神様とは、御三神の総称。
 ・ 九頭龍神社分社があります。
 ・ 霊水が出ているのは、分社(箱根神社境内)の方です。
 ・ 九頭龍へ参拝後、箱根神社を参拝するのが最高に効果が上がるようです。
 ・ 晴天に恵まれ、九頭龍神社参拝後、箱根関所跡を観光後、箱根神社まで歩く。

1.箱根神社 2. 〃 3.箱根神社本殿。
4.箱根神社本殿。 5.霊水汲み所 6.


(5)北口本宮冨士浅間神社

   “北口本宮冨士浅間神社”の参拝記。(H19.7.27)

  北口本宮冨士浅間神社(きたぐちほんぐうふじせんげんじんじゃ)】  
   由来  ⇒ ⇒社記によれば、富士山の大噴火を恐れる人々の心を静めるために、垂仁天皇の御代に勅令をもって火山鎮護の神、木花開耶姫を祀ったのがはじまりとされています。1615年(元和元年)に建立された本殿には、 木花開耶姫命、彦火之瓊瓊杵命、大山祗命の三神が祀られています。随所にちりばめられた極彩色、漆塗り、飾り金具、桃山時代の面影を残す建築は見事です。天照大神を祀る西宮本殿は、室町時代の優美な造りで、装飾は本殿と同じ手法がほどこされています。 東宮本殿は、北条義時が創建した1561年に、武田信玄が川中島の勝利を祈願して再建されたと伝えられるものです。祭神の彦火火出見命は、富士権現と呼ばれ、三殿の中では最も古い建造物で、構造や彫刻などに室町時代の手法をとどめています。 本殿、西宮本殿、東宮本殿共に国の重要文化財に指定された見応えある建築です。拝殿の前の両脇には「富士太郎杉」「富士夫婦檜」の名を持つ御神木があります。     〜 富士吉田市のHPより
 ・ 主祭神は木花咲耶姫(このはなさくやひめのみこと)、夫神の彦火瓊瓊杵命(ひこほのににぎのみこと)と父神の大山祇神(おおやまづみのみこと)を共に祀っている。  
 ・ この神社から富士山頂へと続く一本の道は、富士山登山道の北口(吉田口登山道)の起点にあたり、吉田口登山道として古来より多くの人々に親しまれ、関東方面からの登山者にとっての中心的な登山口であった。江戸時代には富士講が流行し特に富士講の参詣者を集めた。 〜 北口本宮冨士浅間神社のHPより

 ・ 富士登山競争(5合目コース)完走後、富士吉田の富士浅間神社に参拝しました。
 ・ 静寂さと清らかな気が満ちた境内で、マラソンで疲れた身体が癒し祓い清められていくのを感じました。静寂な境内で深呼吸をし、エネルギーの充電を行いました。
 ・ 手水舎の立派な龍の口から流れ出る霊水は、ここから約3キロメートル離れた富士山の裾野に湧く泉から引かれているそうです。
 ・ 国の重要文化財の神殿、天然記念物のご神木(富士夫婦桧と富士太郎スギ)も素晴らしいです。

 * 富士の麓の浅間神社を富士山を中心に右回りで廻りながら、一日で三巡すると、富士のエネルギー、浅間のエネルギーと繋がり自分の波動エネルギーアップに大変効果的のようです。

  富士浅間神社の解説HP  ⇒ ⇒  富士の神々と浅間神社

1.H19.07.27 富士浅間神社 大鳥居 2.  富士夫婦桧 3.富士太郎スギ
4.大鳥居より、随身門 5.拝殿・本殿 6.アジサイと本殿
7.青龍の口から湧き出る霊水 8.東宮本殿 9.富士太郎スギの根元
10.本殿左側の苔むした庭 11.富士五合目:小御嶽神社   〃


6)日輪神社  戸隠神社 

  訪問 : 2,004.(H16)10.4(月) 

  場所 : 高山駅東北東約11km。 
      ・ 高山と平湯温泉の中間の国道158号線の、“小野”バス停先高山寄り左側にある地酒“橋本”店からさらに約100m位先左側に狭い道があり、約200m坂道を登りつめると日輪神社に到着します。案内板等なにもありません。迷った場合、近くの店で聞いてください。
      ・ 高山駅下車、濃飛バス新穂高線大谷神社下車、徒歩約5分。バス停留所から鳥居が見える。

 ⇒ ⇒ ・ 山そのものが御神体として崇敬の厚かった神社。祭神は天照皇大御神。太陽神“天照大神”を祀る。
      ・ 日本全国で日輪神社と稱するのは唯この一社。
      ・ 例祭日は毎年、9月3日。創立年代は不詳。
      ・ 日輪神社建立場所は太古のピラミッド。
       ・ 飛騨のピラミッドの中心位置にあると神社、ここが飛騨の中心で、ここからエネルギーが放射状に流れているとも言われている。
       ・ 日本ピラミッドゾーンのコントロールセンター。
      ・ 超古代文明の謎を見たいとお参りする人が多い。
      ・ ピラミッド説を称えた酒井勝軍氏は、2万年前の巨石文明の一環と見ている。
      ・ 酒井勝軍が表した太古のピラミッド日輪神社の裏山は、どこを掘っても硅石まじりの川石が出てくると記している。
      ・ 裏山は人工のピラミッド。
       ・ 日輪神社を中心に放射状に巨石群や、ピラミッドが分布している。
      ・ 葦嶽山ピラミッド発見者の酒井勝軍は「菊型ご紋」を日輪の放射紋であるとしている。
      ・ 16方位に放射する日輪紋章は実は世界各地に残されている。
      ・ 皇室の16華弁の菊花は、古来万世一系の皇室の象徴とされてきた。
      ・ 乗鞍岳外16の飛騨の山々をピラミッドと見て、其の方位を線で結ぶと線の中心が何と日輪神社であると言われている。
      ・ 神体石、太陽石(壊されかけている)が頂上部にある。

      ・ 平日の為、参拝中一人も来ませんでした。
      ・ 本殿内部は静寂そのもの、位山と相互に共鳴しているような感じでした。 
      ・ 今回は時間がなかったので次回には、周辺にある高屋山ピラミッド(葦嶽山の山容に類似)と、 円空で有名な千光寺をゆっくり訪問したい。

1.日輪神社 拝殿 2. 〃 3. 〃
4.日輪神社 山上より 5.本殿内部 6. 〃


7)戸隠神社

 訪問 : 2,008.(H20)5.25(月) 
 場所 : 長野県長野市
《戸隠神社》 
(とがくしじんじゃ)
  ・ 長野県長野市北西部の戸隠山周辺に配する五つの神社(奥社・九頭龍社・中社・日之御子社・宝光社)の総称。
  ・ 「奥社」「中社」「宝光社」の主要三社、および「九頭龍社」「火之御子神社」の五社合わせた集合体が「戸隠神社」。
  ・ 創建以来二千年余りに及ぶ歴史を刻む神社。平安時代に山岳仏教の影響で開かれたとの説もあり、修験道との関わりも深い神社。
    修験道とは、山や巨木などを神として敬う日本固有の多神教である神道(しんとう)と、大陸から伝来した仏教が習合した宗教。
  ・ 岩戸開き神話にゆかりのある神々を祭っている。
  ・ 平安時代末は修験道の道場として都にまで知られた霊場。神仏混淆のころは戸隠山顕光寺と称し、当時は「戸隠十三谷三千坊」と呼ばれ、比叡山、高野山と共に「三千坊三山」と言われるほどに栄えた。
  ・ 江戸時代には徳川家康の手厚い保護を受け、一千石の朱印状を賜り、東比叡寛永寺の末寺となり、農業、水の神としての性格が強まってきました。山中は門前町として整備され、奥社参道に現在もその威厳を伝える杉並木も植えられ、広く信仰を集めた。
  ・ 明治になって戸隠は廃仏毀釈の対象になり、寺は切り離され、宗僧は還俗して神官となり、戸隠神社と名前を変えて現在に至る。
  ・ 戸隠神社の菊の紋章はすべて十六弁(皇室の御紋)


【岩戸神話】
  ⇒ 『 アマテラスオオミカミが弟スサノヲノミコトの起こした騒動に怒り、天の岩屋に身を隠しこの世は闇に包まれた。知恵者のアメノオモイカネのミコト(中社の祭神)の一計で宴を岩屋の前で開き、アメノウズメノミコト(日之御子社祭神)が神楽を舞っていた。アマテラスが戸を開けて覗こうとしたところ、優れた神力を誇るアメノタジカラオノミコト(奥社の祭神)が岩戸を投げ飛ばしてしまった。岩戸は信濃の国の山深くに達し戸隠山となり、その地を戸隠と呼ぶようになった。 』
 【 神楽 】
   ⇒ 岩戸に隠れてしまった天照大御神に再びお出ましいただくために、岩戸の前で天鈿女命(火之御子社祭神)が舞い踊ったのが「神楽」の始まりといわれてる。

 《祭神》 
   @ 奥社 「おくしゃ」
       ・・・ 天手力雄命(あめのたぢからおのみこと)
        ⇒ 天照大神が隠れた天岩戸をこじ開けた大力の神。
   A 九頭龍社 くずりゅうしゃ「」
       ・・・ 九頭龍大神(くずりゅうのおおかみ)
         ⇒ 地主神。水の神、雨乞いの神、虫歯の神。
   B 中社  「ちゅうしゃ」       
       ・・・ 天八意思兼命(あめのやごころおもいかねのみこと) 
         ⇒ 天照大神が天岩戸に隠れたとき岩戸神楽(太々神楽)を創案し、岩戸を開くきっかけを作ったとされる神。知恵の神。
   C 火之御子社(灯社) 「ひのみこしゃ」
       ・・・ 天鈿女命(あめのうずめのみこと) 
         ⇒ 天鈿女命は天照大神が隠れた天岩戸の前で面白おかしく踊って天照大神を誘い出すきっかけをつくったとされる女神。舞楽や芸能、また火防の神。
   D 宝光社   「ほうこうしゃ」 
       ・・・ 天表春命(あめのうわはるのみこと)
         ⇒ 中社の祭神である天八意思兼命の子。学問や技芸、裁縫、安産や婦女子の神とされる。
                                                                        (〜フリー事典等より)

  ・ 善光寺参拝後、戸隠神社の奥社まで行き、宝光社までの計5社を参拝。
  ・ 戸隠神社バス停隣の無料駐車場に駐車。 すぐ参道があり、入口の鳥居から2Km先の奥社へジョグ。緩やかな登り坂ですが、鳥居から二王門までは一直線の道が1Kmにわたって続く。
  ・ 二王門からは荘厳な杉並木となり、エネルギーが満ちてきた感じで気持ち欲良い。中間地点の隋神門からは勾配がやや大きくなる。
  ・ 奥社本殿で参拝。奥社のすぐ下にある「九頭龍社」にも参拝。
  ・ 前方に険しい戸隠山の山稜が迫って見える。
  ・ 奥社駐車場から約2kで中社。
  ・ 中社から約1.5Kで火之御子社。 火之御子社付近には駐車場がありませんでした。
  ・ 更に約1kで、宝光社。
  ・ 杉の木立の中にある約200段の石段を登り宝光社社殿。

  ・ 奥社参道南側に、野鳥の宝庫でもある森林植物園があり、白樺林や高山植物園、水芭蕉園があり、100種以上の野鳥が生息しているとのこと。次回チャンスがあればゆっくり散策したい。
  ・ 戸隠山西岳の登山道にある鏡池は新緑と紅葉の頃が最高のロケーションなので、10月にもう一度登山を兼ねて訪問したい。

 @奥社、A九頭竜社 

奥社入口 バス停  参道横の小川沿に咲くニリンソウ 随神門、奥社および九頭龍社参道の途中にある
随神門 奥社のすぐ下にある九頭龍社  奥社本殿
 戸隠山  戸隠山前方に迫る戸隠山  戸隠山
  案内板  奥社参道の杉並木  案内図

B中社

 門 中社本殿  御神木

C火之御子社

火之御子社  〃

D宝光社

 宝光社  〃
 宝光社

8)善光寺

訪問 : 2,008.(H20)5.25(月) 
 場所 : 長野県、松代にある標高679mの山。
 【善光寺】(ぜんこうじ)
  ⇒ 長野県長野市大字長野に位置する無宗派の仏教寺院。 
  ・ 今から千三百有余年の昔、本多善光を開山年、皇極天皇(西暦六四二年)の勅願によって創建された無宗派のお寺。
  ・ 寺号の「善光寺」は、開山善光の名を勅許により、そのままつけたものといわれている。
   現在の本堂は、元禄十六年(1703年)起工、宝永四年(1707年)に落成したもので、十二回目の建築。これは大同四年(809年)の炎上以来、元禄十三年(1700年)の火災まで、11回の焼失。
  ・ 創建は7世紀末。
  ・ 天台宗と浄土宗の別格本山ともなっている。 
  ・ 天台宗の大勧進と25院、浄土宗の大本願と14坊により運営されている。 
  ・ “一生に一度は善光寺参りを” と言われ、全国から参拝者が集まる善光寺。
  ・ 一宗一派に偏せず参詣した人すべてを極楽へ導くと説いているので、多くの人々の崇敬を集めてきた。
  ・ 本尊の一光三尊阿弥陀如来立像は日本最古の仏像とも言われ秘仏。御分身である前立本尊は7年に1度開帳される。
  ・ 本堂は、高さ20mの檜皮葺きの山門の最奥に、間口約24m、奥行き約53m、高さ約27m。
  ・ 入母屋二重造りの大屋根を支える柱の数は108本で、仏教で説く人間の煩悩の数に合わせている。

  ・ お戒壇めぐり
     〜 
本尊が祭られている厨子の下に真暗な回廊があり、これを手探りで一巡しながら本尊の真下にかかる鍵に触れると極楽往生が約束されると言う。
                                                                          (〜フリー事典等より)
 ・ 平日にもかかわらず、大勢の参拝客でした。 
 ・ “お戒壇めぐり”のため、本堂から地下への階段を降り、左方向へずり足で約2分位で、腰の位置にあった“鍵”に触れました。
 ・ 全般的には、“エネルギースポット”というよりはお参りに適した場所といった雰囲気でした。 

善光寺庭園  〃  本堂
 〃  山門  六地蔵
 地蔵  鐘堂

U.【山】
 本来の“山”は周辺より「標高」が高く、また「生命エネルギー」、「波動エネルギー」等物理的要素以外の霊妙な精神・神霊的エネルギーが高いエリアといえます。 いわゆる「イヤシロチ」、「エネルギースポット」的要素を有しており神霊の働きやすい場であるといえます。
 ・ 多くの山の内、特別エネルギーの強い山は、古来から信仰の山として位置づけられてきたようです。
 ・ 山の神(やまのかみ)は山に宿る神の総称。
 ・ 信仰に関わる山で、霊山といわれる山は奥羽から九州にわたって満遍なく点在し、その数は351座におよぶという。
 ・ 日本国内では、代表的な三霊山(さんれいざん:古来から山岳信仰があり、信仰登山の山として、@富士山、A立山、B白山が有名です。
 ・ このほか日本三大霊山(恐山、高野山、比叡山)、日本三大霊場(恐山、白山、立山)、日本三大霊地(恐山、立山、川原毛)等が挙げられているようです。
 ・ 登山をする場合は、山岳信仰を理解しておくのがよい。
 ・ 聖地・霊山を訪れるときには、登拝(山の神さまを拝むために登る)の気持ちが大切。
 ・ 本来の登山は、山の中で自分を見極め、高めていく、山は修行道場、神仏と感応、交流する場所、自分の中の神を見出す為に瞑想する場所、といえる。
 ・ 従って登山する時は、謙虚な気持ちで、山を司る神々様に感謝を奉げる心構えが非常に大切です。これが安全登山の秘訣と思います。

《 三霊山 》
    @ 富士山、 A 立山、 B 白山
  三霊山(さんれいざん)とは古来から山岳信仰があり、信仰登山の主たる山(富士山・立山・白山)の三山を指したもの。
 * 各山の主祭神 
    富士山 = 木花開耶姫命、浅間大菩薩
    白山   = 白山ひめ大神、菊理媛神、十一面観世音菩薩
    立山   = 阿弥陀如来、姥尊
 * 各地の霊山では、女性の参詣登山を禁じていた。 

(1)富士山
     全国各地にある富士山の数。--- 合計 347 (H19.6.)
      北海道 16、東北 32、 関東 58、 中部 84、 近畿 57、 中国 47、 四国 18、 九州 35
     * 参考HP  ⇒ ⇒  ふるさとの富士山大集合表紙
  ・ 富士山とは「ピラミッド」形状をなしている山、と言えます。
  ・ 富士山の主祭神 : 浅間大神(あさまのおおかみ) : 木花之佐久夜毘売命(このはなのさくやひめのみこと)
                              相殿神 : 瓊々杵尊(ににぎのみこと)
                              相殿神 : 大山祇神(おおやまづみのかみ)
     木花之佐久夜毘売命 --- 日本の山を統括する 大山祇神(おおやまずみのかみ)の娘。
     木花咲夜姫を祀る社  --- 全国1300社ほどある浅間神社(せんげんじんじゃ/あさまじんじゃ)。
                      ・ 中心は南側が富士宮市の富士山本宮浅間神社(せんげんじんじゃ)
                            北側が山梨県一宮町の山梨浅間 神社(あさまじんじゃ)。
平成3年)8月18日  9合目より  4:30  〃  9合目より  4:50 富士山頂   ↑ 剣が峰
富士山頂より   河口湖 ↑ 平成4年8月23日 山頂直下より  4:35        〃    4:40
      〃    5:00 平成19年8月 8日   4:53      〃  5:44
平成19年8月 8日  富士山頂 浅間神社    〃  銀名水  〃 剣ヶ峰 頂上


(2)立山
 メモ
  ・ 立山信仰の対象である。山頂には雄山神社(おやまじんじゃ)の峰本社がある。
  ・ 霊峰立山を神体とし、立山の神として伊邪那岐神(立山権現雄山神・本地阿弥陀如来)・天手力雄神(太刀尾天神剱岳神・本地不動名王)の二神を祀る。
  ・ 雄山山頂の峰本社、山麓の中宮祈願殿、前立社壇(まえだてしゃだん)の三社をもって雄山神社とする。所在は富山県立山町芦峅寺から岩峅寺にかけた一帯、広くは地獄谷や弥陀ケ原を含む立山連峰全域。
  ・ 浄土宗の開祖法然上人が立山に登拝した時、滝の音が称名念仏の声のように聞こえたので、この滝を称名滝と名付けたといわれている。
  ・ 雄山神社の峰本社 : 「立山連峰」立山連峰・雄山(3003m)山頂にある。
  ・ 山岳修験道の立山と、古代神道の雄山が、当地で混在・融合しているという見方も出来る。
  ・ 峰本社は雄山(3,003m)山頂にあり冬期の参拝は不可能なため、山麓の岩峅寺に前立社壇を建てて、年中の諸祭礼を行なうようにしている。

(3)白山
 メモ
  ・ 白山の対象である。山頂には白山比盗_社の奥宮がある。
  ・ 白山宮(本宮)、金剣宮、岩本宮、三宮、中宮、佐羅宮、別宮を白山七社」と呼び、白山から三宮を「本宮四社」、中宮以下を「中宮三社」と呼ぶ。
  ・ 白山の本来の神様は白山比淘蜷_ (しらやまひめのおおかみ)。
  ・ 白山比め神社 :  白山比め大神、菊理媛神、伊勢諾神の三社を祀り、霊峰白山を神体山とするパワースポット。 
  ・ 今日では、全国に奉られている三千余社の白山神社の総本宮として、白山信仰の中心となっている。
  ・ アクセス 〜 金沢市内からは、北陸鉄道“野町駅”より“鶴来”を経て、“加賀一ノ宮駅”にて下車。徒歩10分。JR北陸本線金沢駅より18km           、タクシーにて約30分。

 《H17年11月2日》 白山登山
1.黒ボコ岩→室堂センター 白山方向 2.室堂センター:白山比羊神社 3.御前峰(白山)山頂
4.御前峰山頂より 5.御前峰山頂より南西、阿弥陀ヶ原 6.剣が峰


(4)
分杭峠
メモ

《概要》
 ・ 分杭峠(ぶんぐいとうげ) --- 世界でも有数といわれる強力な気場。
 ・ 日本最大、最長の巨大断層地帯である中央構造線の真上にあり、2つの地層がぶつかり合っている、という理由から「エネルギーが凝縮しているゼロ磁場であり、世界でも有数のパワースポットである」と称されている。

《場所》
 ・ 分杭峠は、長野県伊那市にある、南アルプスの西側を走る伊那山脈の峠の一つで、伊那市と下伊那群大鹿村の境界に位置する標高1,424mの峠。
 ・ 分杭峠は、日本最古で最大、最長の巨大断層地帯「中央構造線」の真上にある。

《発見経緯》
 ・ 分杭峠が「ゼロ磁場」であることを発見したのは、中国の高名な気功師の張志祥さん。張さんは、中国政府が公認した唯一の科学的な気功の研究団体である元極学会を率いる人物。中国で多くの人が「幸せになれる場所」として癒しを求めて訪れている湖北省の蓮花山で「ゼロ磁場」を発見した人でもある。
 ・ 
1,995年(平成7年)に、元極学という中国政府が公認する気の研究団体の創始者で、著名な気功師の張志祥氏を日本の研究団体が招いて調査したとき、張氏が発見したのが、この「分杭峠」。
 ・ 世界でも有数の「気」(波動)の発生する「ゼロ磁場」という場所が発見され、2003年7月、テレビの情報番組で紹介されてから、人を幸せにする力を持つといわれる“気”が集まっている長谷村の「ゼロ磁場地帯」が一躍脚光を浴びることになり、一気にブームとなった。
 ・ 現地は、今でも特に観光地のような風情は見られませんが、天気のいい週末には多い日には日本全国から「気」(波動エネルギー)を求めて数百人が押しかけ来訪しているようです。

《ゼロ磁場》
 ・ 「ゼロ磁場」とは、地殻変動の巨大なエネルギーがぶつかり合って、N極とS極の磁気がお互いを打ち消し合う磁気の低い場所のことをいう。
 ・ 「断層を科学計測したところ、地磁気の変動が顕著でありゼロに近い低い磁場になっていること、地質学的に岩石の特殊性が見られることなど、普通の土地とは著しく違っている」とのこと。
 ・ 巨大なエネルギーが蓄積されたゼロ磁場。
 ・ 巨大断層が、分杭峠に「ゼロ磁場」という特異な空間を形成し、そこに「気」を発生する「気場」ができていると考えられている。

《気場》 
 ・ 気場は病気治しや信仰の場所ではない。 
 ・ 気場を訪れる場合は、心を出来るだけ純粋に保ち、欲望を可能な限り減らした状態で臨み、気が進まない場合は延期するように。
 ・ 長谷村では分杭峠の「気」を村おこしに活用し、心の健康、体の健康を育み、元気を提供しようという「気の里構想」を推進している。
 ・ 地下のエネルギーは変動しているはずですから、どの気場にしても、時間帯やその他の気象・天体などの条件によって、出方は変わるようです。


フォッサマグナ
 ・ フォッサマグナ(Fossa Magna)はラテン語で、「大きな溝」という意味です。「地質学的な溝」。
  〜 古い時代の岩石(主に中生代・古生代、:薄い茶色)で出来た 、ほぼ南北方向の溝の中に、新しい時代の岩石(新生代:緑色)がつまっている。8000m〜9000m以上の深さがある。

【 訪問記 】
 ・ H19年11月21日(水)午前中蓼科山登山後、一路分杭峠を目指して中央高速の諏訪ICから入り、駒ヶ根ICで降り、カーナビに従い、国道153号線の「北町」交差点で右折し、500mほど行った「本町」を左折、県道49号線が工事等のため一部迂回しましたが、道なりに進み、やがてカーブの多い山道になる。 紅葉盛りのカラマツ林を見ながら進むと、国道152号線に出るので右折、約1kmほど、ICから約21Kで、午後3時前に分杭峠直ぐ手前の広い駐車場に到着。目的地まで舗装されていますが、最後の約4k位は0.5車線で数十m毎に退避スペースがありましたが、カーブが多く走行には充分注意が必用です。
 ・ マイクロバスが1台駐車中で、出発待機中。他に乗用車が2台。すぐに防寒着を着て、案内板に従って、整地された斜面の道を、約30メートルほど下って、最終目的地の「気場」に到着。 夕方近かったので、2人しかいませんでした。
 ・ 以前は林道からの道しかなかったようでしたが、現在は歩きやすい道でした。
 ・ 付近一帯の中でもここは「気」のエネルギーが高い場所だそうで、人々が「癒しの場所」「人が幸せになれる場所」と呼んでいるそうです。
 ・ この特殊な場所は宇宙の生命エネルギーをしっかり充電でき、体調が良くなったり、癒しの効果を発揮できる場所だそうです。  ・ ここには、斜面に沿って瞑想用の木製の簡素な低いベンチが5段作られてました。
 ・ しばらくここで大地からのエネルギーと交流しました。 シーズン中は、「気」を求める人達でかなり混雑するようです。
 ・ あまり時間がないので、水汲み場であり強力な気場である所を目指して、先へ進む。
 ・ 気場の水汲み場は、瞑想場の先の細くジグザグの急坂の山道を約3分位登って、未舗装の林道に出て、左側へ更に約600m位進んだ林道が広がった場所の右側の沢にありました。(約5台駐車可)
 ・ 写真撮影後、車に置いたペットボトルに水を汲むため、一旦駐車場まで林道を戻り、今度は車で出発、約3分で水汲み場に到着。
 ・ 林道は未舗装で、一部窪んだ箇所がありました。(約700m)
 ・ 誰もいなくなった水汲み場で、パイプから出てくる湧き水を充填後、少々瞑想(ベンチ等何もありません、折りたたみイス必携。瞑想スペースもほとんどありません。)、帰路につく。
 ・ ここの水は「波動水」と呼ばれ、地中の「気」が十分に浸透し、ろ過されているので、ミネラル分を多く含み、まろやかな味で、身体にも好影響を生じるようです。 但し、地中深い場所から汲み上げた水でないので、保健所の水質検査では保障していないようですので、不安な方は念のため煮沸してからの飲用が安心かも。
 ・ 時間がなかったので、南アルプス生涯学習センター「入野谷」は、またの機会に訪問するくとにしました。
 ・ 帰路、諏訪湖SAでトイレに立ち寄っただけで、前日の早朝からの雲取山と本日の蓼科山登山の疲れも眠気も全く感じなかったので、休憩なしで一気に帰宅しました。 位山訪問の帰路の時と全く同様な状態でした。
 * 冬季(12月上旬〜3月上旬)は道路凍結の為、通行止めとなるようです。 駐車場のトイレも低温の為閉鎖されていました。

 ・ 南アルプス生涯学習センター「入野谷」
  分杭峠訪問用宿泊施設、日帰り入浴施設等   ⇒ ⇒    ゼロ磁場(気の里)パワースポット 入野谷

1.  天竜川支流、橋の欄干の龍と分杭峠 2.峠付近のカラマツ 3.駐車場から気場方向
4.駐車場から気場への道 5.気場:瞑想用の木製座席 6.気場上段部
7.気場 8.気場の水汲み場 9. 〃
10.気場の水汲み場 11.〃 12. 〃 の沢
13.分杭峠の標識と案内図 14.水汲み場への未舗装林道(前浦線) 15.気場の駐車場、遠方トイレ小屋、152号線


5) 皆神山

 訪問 : 2,008.(H20)5.25(月) 
 場所 : 長野県、松代にある標高679mの山。
 皆神山 
⇒ ・ 30〜35万年の安山岩質の溶岩ドーム。 
   ・ 海抜643m,周囲4.5km。この山は30万年くらい前の火山活動によって形成されたトロイデだと地質学者が推定。
   ・ 1,965年から1,971年にかけての松代群発地震は皆神山の直下で起った。 この地震は地下水脈の影響による岩盤の破壊と見られる。
   ・ 昭和40年8月から約2年間続いた「松代群発地震」の震源は、皆神山の真下3〜5キロメートル。
   ・ 第二次世界大戦末期には日本の戦況が悪くなり、松代が大本営・政府・皇室を含む首都移転の予定地となり、皆神山にも多数の地下壕が掘られ、地下壕は推定七千人の朝鮮人が働いていた。
   ・ 現在は山頂にはゴルフ場や皆神神社という神社があり、山頂まで車で登ることができる。
   ・ 全国的にも珍しいクロサンショウウオの産卵池もある。
   ・ クロサンショウウオの分布南限地として貴重である。 クロサンショウウオは、きれいな自然水でないと生息できない。
   ・ 「皆神山」は世界最大最古のピラミッドではないかと言われている。
   ・ 昭和59年にサンデー毎日で紹介されたのを契機に「ピラミッド祭り」が始まった。(平成20年5月5日に第22回のピラミッド祭り開催)。
   ・ 長野県長野市の標高659mの皆神山は、その姿はまさにピラミッドの形をしており、山頂付近には皆神神社が祭られている。この皆神山で、1966年に約2分間にわたって山が発光していたところが写真におさめられた。また、付近ではたびたびUFOが目撃されているという。検証の結果、いずれも雷や月、街の明かりではないとされている。
   ・ 日本のピラミッドと呼ばれる火山性の山では、大量の地下水により流動帯電現象で電気エネルギーが溜まり、尖った山頂のため発光現象が起こると考えられる。
   ・ 皆神山の地下に縦800m・横1500m・高さ200mの空洞があると推定できることが判明。 〜 終戦直前に掘った地下壕とは別個?。
岩戸神社
  ・ 天照大神を祀る、全国的に有名な大阪府八尾市大字教興寺にある神社とは別。
  ・ 皆神山登山口から少々登った所にある。
  ・ 看板に、「皆神山ピラミッドの入口ではないかと言われ、その奥は謎とされている」と書かれている。
  ・ 入り口は古墳的で、内部は石を積み上げて造った人工的な建造物。未完成の人工ピラミッドのよう。
                                                            (〜フリー事典等より)

【皆神山】

  ・ 長野ICの南方、約3km、ICを出て35号線(長野・真田線)を南下、松代高校を過ぎた左側に皆神神社・皆神山の大きな標識があります。
  ・ 徒歩30分、車5分の表示。
  ・ ここを左折、細い道を道なりに進む、数十mは極細道ですが、その先は神社まで細い舗装路の登り道が続いていました。
  ・ 皆神神社先にはやや広い(約20台可能)駐車場がありました。
  ・ 駐車場には写真のような大きな皆神山を解説した看板がありました。
 ⇒ * この皆神山の盛土的山塊が自重により不均衡凝縮=ねじれ摩擦現象=起電=電流発生といったダイナモ機能山塊となり,電磁波が生じ、この磁力と重力制御(反動)により物体(電磁反発飛昇体)が垂直に離着陸するようになったのです。古文書に出てくる(天の羅摩船)等がこの飛行体です。
   * 皆神山は,古い古墳時代や弥生時代更に遡っての縄文時代やエジプト,インダス,黄河,シュメール各文明よりずっと古い、今から2〜3万年前の超太古とのいうべき遠い旧石器の時代に造られました。(人工造山=ピラミッド,ピラミッドはギリシャ語源で三角型のパンの意。)
   * この皆神山を造った人間は、古事記に出てくる須左之男命(自然主義的な科学技術者の集団の総称)で現代科学とは全く異質ではるかに優れた高い知的能力をもつ人類でした。(旧人ネアンデルタール人系)
   * では、何のために造ったかというと,墳墓ではなく地球上の各地や,宇宙空間への航行基地として造られたのです。
   * このように皆神山は、神々が活躍した基地であり,宇宙船で現れたり姿を消したりしたので自然人たちは,神聖な山=高天が原として崇め、後世に伝えたものです。
                                                                       (駐車場の解説より抜粋)

  ・ 駐車場横の皆神神社入口門脇に、クロサンショウウオの産卵池があり、カエルや小魚がいましたが、クロサンショウウオは未確認。
  ・ 熊野出速雄命などをまつっている皆神山神社の方は、一見、普通の感じの神社。
  ・ 本堂をお参り後、奥へ延びる石畳の途中にあった「カゴメ之宮」の石碑、大本教の出口王仁三郎の石碑を確認後、頂上へ進む。
  ・ 頂上付近のグリーン上は、「イヤシロチ(弥盛地)」特有の気持ちのよい気分に浸れました。(運動靴でグリーンの芝を傷めないように)
  ・ ヒマラヤ山と相応する聖地・地教山とされ、近年はピラミッド説が唱えられています。
  ・ 皆神山は尊い神山であつて、地質学上世界の山脈十字形をなせる地であり、世界の中心地点。
  ・ 三角点は、ゴルフ場の5番のグリーンサイトにある。
  ・ 本当に人工の山=ピラミッド=なのでしょうか?答えは不明。
  ・ お祈り・瞑想後、次の目的地「象山の大本営跡」へ向かう。
  ・ 車でカーナビを頼りに約10分ほどで、「象山の大本営跡」見学用無料大駐車場に到着。
  ・ 駐車場から、約5分強で案内所に到着。(無料)ヘルメットを被り、坑道へ進入。
  ・ 坑道内部は車が走れるほどの広さで、照明電灯が完備され、ヒンヤリ涼しく、地面も整地され歩きやすかった。
  ・ 松代象山地下壕は、総延長 5,854m、(床面積 23,400m2) のうち、500mが平成元年から一般公開された。
    ⇒ 「昭和19年11月11日着工、終戦の日まで、約9ヶ月間延べ300万人の住民と朝鮮人が強制労働に動員。1日3交代で徹夜の突貫工事。
       延べ2億円の巨費が投じられ75%の進捗率で終戦となり工事が中止された。」

  ・ 約特別なものはなく、山を水平にくりぬいた、トンネル状の豪でした。
  ・ 皆神山に掘られた坑道は未開放。 気象庁の歪観測計が坑道を利用中。
  ・ 入り口の右隣にあるこじんまりした「もうひとつの歴史館・松代」を見学(200円)。
  ・ この豪は、対戦末期、本土決戦に備え、東京から政府・軍・皇居を疎開させるために、終戦直前、突貫工事で、松本周辺に大規模な豪3箇所と数箇所の関連豪が造られ、約8割程度完成していたようです。

 皆神神社参道入口  皆神神社参道入口より、皆神山方向
 皆神神社参道入口より、皆神山方向 前方の道を進む  説明板
 神社駐車場にある“PR”説明解説表示板  神社前の「クロサンショウウオ」繁殖地
 皆神神社入口の山門   同上
 皆神神社 本堂 御影石に刻まれた、“日輪・ダビデ紋章”
 皆神山 山頂   〃  左の写真の裏側からの全体風景 ゴルフ場最標高位置ホール
 皆神山 山頂方向  天満宮
 皆神神社 本堂  沿道  コイが泳ぐきれいな川と花
松代象山の地下壕鳥瞰図 松代象山の地下壕   電灯が完備され比較的明るい

6)位山 

 訪問 : 2,004.(H16)10.4(月) 
 場所 : 高山駅から車で、約15分“道の駅モンデウススキー場“ 駐車場そば。
 位山 --⇒ “天孫降臨”、“高天原”の地。 
         (“天孫降臨”の地が、九州の高千穂の峰と言われているのは、誤伝。九州が乱れた時代に一時的に、位山の天皇が鎮めに行った名残り。)    
  ・ 
初代神武天皇がここに登山した時、顔2つ、手4本の両面四手の姿をした怪神が天から降臨し、神武に王位を授けたので、この山を位山と呼ふようになつたという。  ・ 太古の“ピラミッド”、強力なエネルギーを放射する日本で重要なピラミッド。
  ・ 他天体の人類と地球人類(天孫降臨民族)との交信を行った神殿。
  ・ “霊石:ヒモロギ石”があり、宇宙創造神である天照日之大神のみたまを祀り、日(霊)の本の国を治め、日本で重大な危機が起こりそうな時は、その波動を浄め、危機を救う働きをするそうです。
  ・ 巨石が多数配置されている。太陽巨石文化の発祥の地。
  ・ ギゼの大ピラミッドのそばにあるスフィンクスの眺めている方向を解析した結果は、なんと位山であった。
                     写真   位山 177-181  

   【位山巨石マップ】    平成16年10月3日調査

  

巨石
No
名    称 登山口からの経過時間 区間時間
(分)
備        考
祭壇石 刈安牧場から約10分。詳細は位山を参照。
六稜鏡岩 0:40〜41 40
御手洗岩 0:55〜56 14
畳岩 1:10〜13 14
門立岩 1:30〜33 17
尻立岩 1:36〜40
御神楽岩 1:47〜50
天岩戸 鏡石 1:55〜2:10
御魂岩 1:52
天の泉 2:00〜 2:15 冷たくて、非常においしい清水
位山 山頂   ストーンサークル 2:22〜2:35 展望は少し先の“展望台”にあがった場所からが良い。
蔵立岩 2:55〜00 20
10 八重雲岩 3:03〜05
11 餅ノ岩 3:20〜25 15
12 鞍ノ岩 3:26〜30
13 豊雲岩 3:34〜3:40
14 光岩 3:43〜50
15 龍岩 3:50〜55
16 日抱岩 3:56〜4:00
17 御門岩 4:01〜4:06
18 禊岩 4:07〜4:10
水無神社奥社 4:12 ダナ平林道終点 駐車場 。標高 1,330m

・ 《祭壇石》の場所
         →  刈安牧場(駐車場から車で約5分スキー場の左上)から右(東)斜面に続いている泥道を約200m登って一番右(東)側のリフトを越える。前方左斜面奥に高い針葉樹が10m位集中している場所を目標に、鉄線で囲われた牧場の中へ入る。囲いに沿って約100m位直登、囲いの中に約6畳位の祭壇石がありました。泥道から囲いを潜って祭壇石まで、踏み跡はほとんど消えていました。
        水平位置:リフト支柱脚 終点から3本目、下(始点)から7本目の右(東)方向、約200m。
        なお、リフトは現在2本のみです。登山地図には5本書かれていますが、一番右(東)側からの2本は撤去、一番左側は廃止状態になっていました。
   ※ 登山道からは、“祭壇石入口”の案内板から左方向約20度位上向きに約300m?位の位置と推定。但し道、踏み跡なし。

7)恐山 

 ・ 恐山(おそれざん、おそれやま)は、下北半島の中央部に位置する外輪山、霊場であり、高野山、比叡山と並ぶ日本三大霊場の一つ。
 ・ 日本三大霊山(恐山、高野山、比叡山)、日本三大霊場(恐山、白山、立山)、日本三大霊地(恐山、立山、川原毛)の一つで、862年に慈覚大師 が開山。
 ・ 開山は貞観4年(862年)。開祖は天台宗を開いた最澄の弟子である慈覚大師円仁。地蔵信仰を背景にした死者への供養の場として知られる。
 ・ 862年に慈覚大師円仁 が開山したと言われています。
   「今から約1200年前、円仁が唐の五台山で 修行中のある夜、一人の聖者が夢枕に立ち「汝、国に帰り、東方行程30余日の所に行けば霊峰がある。そこに地蔵尊一体を刻み、その地に仏道を広めよ。」と告げ、そのお告げに従い帰国して諸国を行脚したところ、ついに夢のお告げと符合する地、この恐山にたどり着いた」と言われています。大師はここで地蔵尊一体を刻み、地蔵経を収め、今日の恐山信仰のもとを開きました。 
 ・ 恐山は、カルデラ湖である宇曽利湖(うそりこ)を中心とした外輪山の総称である。外輪山はの八峰。「恐山」という名称の単独峰はない。
 ・ 火山岩に覆われた「地獄」と呼ばれる風景と、美しい宇曽利湖の「極楽浜」との対比が特徴である。寺名は恐山菩提寺、本坊はむつ市田名部にある曹洞宗円通寺である。本尊は延命地蔵菩薩。
 ・ 立ちこめる硫黄臭と荒涼とした風景はまさに異空間、地獄と極楽を垣間見れます。
 ・ 恐山には史料に残された噴火記録はなく、地質調査の結果からも、最後の噴火は1万年以上前と見られている。
 ・ 恐山自体が火山であるため、境内には温泉が湧いている。恐山境内にある4つの薬湯 『冷抜の湯(男湯)、古滝の湯(女湯)、薬師の湯、花染め湯』 は、それぞれに効能があり、参詣者は自由に入浴できます。
 ・ 下北地方では「人は死ねば(魂は)お山(恐山)さ行ぐ」と言い伝えられている。恐山大祭や恐山秋詣りには、イタコマチ(イタコがテントを張って軒を連ねている場所)に多くの人が並び、イタコの口寄せを聞く。
 ・ イタコの「口寄せ」は、相談者の悲しみや悩みを軽くするなど、ヒーラーとカウンセラーの役割も果たしている。
 ・ イタコは、恐山大祭(7月20日〜24日)と恐山秋詣りの年2回、恐山の境内の中にいる。予約制ではないので順番待ちとなり、料金には特に決まりがなく、”こころざし”を渡すのがしきたりである。目安は一人降ろしてもらって、3,000円位。
 ・ 「恐山」と呼ばれる由来は、諸説あるようですが、ひとつは、このあたりの山中で修業をしていた慈覚大師が、飛んできた一羽の鵜によって導かれ、蓮華八葉と呼ばれる外輪山に囲まれひっそりと三途川へその湖水を流し込む湖を発見した。大師は湖を「宇曽利湖(うそりこ)」と名付け、それで「ウソレヤマ」と呼ぶようになり、のちに転じて「恐山」となったという説。他の説としては、青森県によくあるアイヌ語由来説。アイヌ語の「ウッショロ(湾)」とか「ウサツオロヌブリ(灰の多く降る山)」から来ているというもの。
 ・ 恐山の麓にある宇曾利山湖は、強酸性(pH3.5)の死の湖。青い静寂な湖面が不気味。 ウグイ(コイ科の淡水魚)が生息している。
 ・ 恐山街道(青森県道4号)には途中、整備された湧き水冷水(ひやみず)があり旅人の喉を潤している。この湧き水を1杯飲めば10年、2杯飲めば20年、3杯飲めば死ぬまで若返ると言われている。
 * 開山期間 毎年5月1日〜10月31日 ・ 開門時間 午前6時〜午後6時 ・ 入山料 500円(2008年現在) ・ 大祭典 毎年7月20日〜24日 ・ 秋祭典 毎年10月9日〜11日
 * 参拝所要時間は最短順路で約40分。
 * アクセス: 青森空港、新幹線八戸駅からのレンタカーが良い。  JR東日本大湊線下北駅から下北交通バス恐山線で約40分。開山期間のみ運行。1日4往復。
 * 三沢空港は、梅雨時期等霧が発生しやすいので飛行機の欠航に注意が必要。
                                                                            (〜フリー事典等より)

【訪問記】
 ・ 訪問 : 2,008.(H20).10.1(水) 
 ・ 青森空港からレンタカーにて、118k、途中休憩を含め約3時間走行、恐山街道の途中、有名な湧き水の冷水(ひやみず)があり3杯飲む。 従って死ぬまで若返る?。
 ・ 恐山直前で、宇曽利湖と三途の川にかかる太鼓橋から恐山の霊場が前方に見える。
 ・ ようやく非常に広い恐山参拝用駐車場に到着。
 ・ 山門を潜ると、荒涼たる風景につつまれた恐山が目に入る。霊界の入口、異次元の世界が広がっている感じ。
 ・ 硫黄と岩だらけの空間が眼前に広がっている。この辺一帯は休火山で、亜硫酸ガスがあちこちで吹き出しているのでまるで地獄の光景。
 ・ 無数の無縁塔、御霊石等に加え、宇曽利湖、賽の河原、地獄谷、血の池等など、名前だけでも結構気味悪い名の池などが続く。
 ・ 死者の御霊を呼び、口寄せ(口うつし)を行なうイタコがいる霊場として有名なだけあって、場所的に雰囲気バツグン。
 ・ イタコは大祭(7月20〜24日)と秋祭りの時期だけで、いつでも恐山の霊場にいるものではないようです。
 ・ 「六大地蔵」「奥の院不動妙王」「延命地蔵」「水子供養御本尊」「千手観音」「五智如来」など沢山の石仏が点在する。その他、三途の川や色々な名前の付けられた地獄が沢山あり、またそれと対照的な極楽浜がある。つまりここには、地獄と救世主の仏から天国まで、全てが存在するのである。
 ・ 所々に名物の風車がカラカラと寂しい音を立てており、その音に導かれて歩んでいくと、あの世をさまよい、死と再生を体感できるような気がするようです。
 ・ 参拝路は遊歩道的で参拝順路の表示板が随所に立てられていました。
 ・ はそれほど高くない山なので、まるで盆地に来たような気がするが、聖地にふさわしい風情があるのは一目瞭然である。
 ・ エネルギー的には、恐山自体には感じられず、宇曽利湖の白砂の極楽浜の浜辺付近が、癒しのエネルギーを感じました。
 ・ 約1時間半の散策を終え、明日の白神岳登山のため弘前へ移動。

 冷水  〃  三途の川の太鼓橋
 六大地蔵  山門  冷抜の湯
山門前の出迎え地蔵  地蔵
無限地獄  大王石  大師堂
大平和観音 英霊地蔵尊 極楽浜と宇曽利山   手前:賽の河原 
 イオウ泉  霊場恐山  イオウ
 八葉塔・慈覚大師坐禅石  紅葉  苔、藻
 八角円堂  賽ノ河原  胎内くぐり
 地蔵  金掘地獄  恐山全景
 地蔵群  三途の川の太鼓橋下で咲いてたハマナスと実 下北半島、野辺地の風力発電

【 奥奥入瀬渓谷・十和田湖 】

 恐山訪問に合わせて、白神岳、岩木山・八甲田山登山の他、奥奥入瀬渓谷・十和田湖へも立ち寄りましたのでスナップ写真をご覧下さい。

 銚子大滝  奥奥入瀬  九段の滝
 雲井の滝  白糸の滝  〃
 十和田湖  十和田湖畔の乙女の像  稲田

8)尖山

 訪問 : 2,009.(H21)5. 9(土) 
 場所 : 富山市
《》 
尖山(とんがりやま)
  ・ 富山県

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 以下編集中

V.【墓 等】

.《 イエス・キリストの墓 》
 ・ キリストの墓は、キリスト教において、イエス・キリストが埋葬された後、復活したと信じられている墳墓。
 ・ 一般にキリスト教徒に信じられているところでは、キリストの墓の場所はエルサレムの聖墳墓教会あるいは園の墓(Garden Tomb)である。しかし、異説も存在する。
 ・ 新郷村の観光の目玉、キリストの墓。村にとって貴重な観光地のようで、駐車場や遊歩道もちゃんと整備されている。キリストの墓の他、「キリストの里伝承館」に資料が展示されている。
 ・ イエス・キリストの墓と「キリスト伝承館」という資料館が、十和田湖から東へ県道454号線を車で45分ほど走った所、青森県の三戸郡新郷村大字戸来にあります。
 ・ ゴルゴダの墓で磔に処せられたはずの「イエスキリスト」の墓がなぜこの日本の青森に存在するのか。
 ・ キリスト伝承館、墓の案内板の説明文
   ⇒ ⇒  『 イエスキリストは二十一才のとき日本に渡り12年の間神学について修行を重ね三十三才のとき、ユダヤに 帰って神の教えについて伝道を行いましたが、その当時のユダヤ人達は、キリストの教えを容れず、かえってキリストを捕 らえて十字架に磔刑に処さんと致しました。しかし偶々イエスの弟イスキリが兄の身代わりとなって十字架の露と果てたの であります。他方、十字架の磔刑からのがれたキリストは、艱難辛苦の旅をつづけて、再び、日本の土を踏みこの戸来村に 住居を定めて、百六才長寿を以て、この地に没しました。この聖地には右側の十来塚にイエスキリストを、左側の十代墓に 弟イスキリを祀っております。以上はイエスキリストの遺言書によるものと謂われております。』

・ 《発見の経緯》
  ⇒⇒ @ 1935年(昭和10年)8月初に、鳥谷幡山が1934年(昭和9年)10月に見つけた大石神のピラミッド確認のため青森県戸来(へらい)村(現在は三戸郡新郷村大字戸来。)を鳥谷とともに訪ねていた竹内巨麿(たけうちきよまろ)は、2間〜3間の長方形の盛り土をみると立ち止まり、それが古文献を一人で調べた結果により、そこに統来訪神と書いた目標と前の野月の二ツ塚に「十来塚」と書くよう村長に話したという。
   A この後竹内巨麿は竹内文書に、「イスキリス・クリスマス。福の神。八戸太郎天空神。五色人へ遣わし文」にはじまる記述や「イスキリス・クリスマス」の遺言があるとし、イスキリス・クリスマスはゴルゴダの丘で処刑されず、弟のイスキリを身代わりにして日本に渡来して死に、その墓が「十来塚」であるとする。このイスキリス・クリスマスがイエス・キリストであり「十来塚」が「イエス・キリストの墓」であると言っている。
 * 茨城県の竹内巨麿という人が「ここがキリストの墓だ」と断定したのが始まり。  
 ・ 竹内家には、キリストの遺言書やモーゼの十戒石などの資料を多数所有しており、(戦前政府の弾圧等で多くの資料が焼失させられた)その中の神代史(竹内文献といわれる)から、次のようなことが明らかになったそうである。
   ⇒ ⇒ 『キリストは22歳のときに行方不明になり、33歳のときに忽然と現れて教えを説いたのだが、この11年間の行動は聖書にもまったく記されていない。
   実は、このときキリストは日本へ来ていて、越中の国にいた尊き方の弟子になって修行を重ねていた。そして11年間の修行を終えたキリストは日本を去ってユダヤに帰国し、周囲の人々に日本の尊さを語りつづけたという。
   しかし、キリストの教えは当時のユダヤ教には受け入れられず、捕らえられて磔刑に処せられることになったのだが、実は磔になったのは弟のイスキリであった。生き延びたキリストは、4年間シベリアを放浪した後、アラスカから船に乗り、現在の八戸に上陸。再来日したキリストは名前を「十来太郎大天空」と改め、ミユ子という女性と結婚して106歳まで生き、この地に没した。』
  ・ このことを実証しようとした竹内巨麿は、調査の結果、戸来村(現在の新郷村)の竹やぶの中にあった土まんじゅう2個を見つけ、それぞれキリストの墓(十来塚)とイスキリの墓(十代墓)ということになった。

・ 《イエス・キリスの生涯》
  ⇒⇒ @ キリストはユダヤを離れ、シベリアを横断し、アラスカから船に乗って青森県八戸に上陸した。
  A キリストは20代の時にも日本に来ており、再上陸したのちは日本人の妻をめとり、新郷村で3人の娘を育てた。
    ・ キリストが21歳の頃始めてこの日本に訪れ(十一代垂仁天皇の御代)日本の越中国で11年間日本語を会得し、そのあと33歳で故郷に戻り日本の尊さを説いて回った。
  B 磔に処せられたときは、実は弟のイスキリが身代わりとなりイエス自身は、シベリアから日本に船で渡り八戸へ上陸し「十来太郎大天空」と名を改め陸奥国 戸来村(今の新郷村)に移住し「ミユ子」という婦女を娶り三人の女子を授かり106歳の天寿を全うしたと記されています。
  * 弟イスキリの墓にはイスキリの耳が葬られているそうです。
   
《証拠・影響》
  ⇒⇒ @ この辺りの子どもに着せるちゃんちゃんこには、六芒星が描かれている。
  A ここの地方に古くから伝わる歌は、日本語では全く意味をなさないけど、ヘブライ語では読むことができる。
  B 「戸来」という地名も、「ヘブライ」という言葉が訛ったもの。 この地域の字「戸来(へらい)」という地名は「ヘブライ」が転訛したもの。
  C 旧家坂口家の家紋はユダヤの紋章と同じ。(坂口家の家紋は桔梗で五芒星に見える。ダビデの星の六角形でなく五角形にしたのは、恐れ多いという理由から一つ減らしたらしい。)
  D 子供が生まれて初めて戸外に出すときに、額に十字を墨書する。ユダヤ教にある風習。
  E 足にしびれが切れたとき、人差し指につばを付けて額に十字を3回えがく。
  F 父親を「アヤ」、母親を「アパ」と呼ぶのは、「アダム」「イブ」の転訛したもの。
  G 盆踊りの謎の文句「ナキャドヤラー、ナニャドナサレノ、ナニャドヤラー」は古代ヘブライ語で「お前の聖名をほめ讚えん、お前に毛人を掃蕩して、お前の聖名をほめ讚えん」と訳せる。
                                              (〜フリー事典等より) 

 【訪問記】
 ・ 2,008年(平成20年)10月4日。
 ・ 奥奥入瀬探索後、十和田湖に立ち寄った後、『キリストの墓』と、「キリスト伝承館」という資料館を見学。
 ・ 予想していたより立派で、資料館まであるという、村では相当PRしているようでした。
 ・ 世間に知れ渡り、新郷村は神秘の村として人々の注目をあびるようになっているようで、公に認められていない状況でも村としては唯一の観光資源でもあるようで微妙な態度をとっている感じです。
 ・ 今のところ学会を始め一般的にはトンデモ的なレベルでしかありませんが、次第に真実味が増してきて、受け入れる時期がやがて訪れると思います。
 ・ 近い将来、宇宙のデータバンクである“アカシックレコード”にアクセスする人が増加し、次第に真実が解明されると思います。
 ・ 近くの大石神ピラミッドを探索する。  ⇒  ⇒  

 入口  墓全景 右:イエスの墓、左:弟のイスキリの墓  案内板
 イエスの墓   案内板  イエスの墓
 イエスの墓  〃  イスキリの墓
 手前、イエスの墓  資料館の資料(生まれた赤ん坊の額に十字を刻印)  資料館の資料(沢口家のダビデ疑似紋章)